噂の転校生  5




「おっそいな〜新一のヤツ。いつもならとっくに帰ってる時間なのに」
 
オレは時計を見て呟いた。
夕飯の支度はもう出来てしまったので、後は新一が帰ってくるのを待つだけだった。
オレは机の上に無造作に積まれている雑誌の束から一つ選んで取り出すと、オレはソファにもたれ掛かりページをパラパラと捲った。
すると、ガチャリと玄関の扉が開く音が聞こえた。
オレは雑誌を置き、新一を出迎えに玄関へ走って行った。
 
「新一どうしたんだよ〜今日はえらく遅かったじゃん?もうご飯出来てるよ」

 
見ると、新一はかなり汗と埃まみれになっていた。
今の今まで練習をしていたようだった。

 
「今日は練習ハードだったんだね〜先にシャワー浴びてご飯にする?」

 
新一は無言で靴を脱ぎ捨て、ドスドスと廊下を歩いた。
 
(めっちゃ機嫌悪〜〜)
 
触らぬ神に祟り無し、という諺が思わず脳裏に浮かんだ。
が、そうすれば余計に後が恐ろしい。
オレは取りあえず様子を見るため後を追って行った。
 
「し…新一…あのさ…」

 
新一はカバンをソファーに放り投げると、荒々しく椅子に腰掛けた。
 
 
「飯!」
「は…はいぃ!」
 
オレはこれ以上機嫌を損ねないために言われるままに従った。
 
(もうヤダよ〜こんなの相手しなきゃなんないなんて)

 
オレは半泣きになりながらご飯をカレー皿によそった。
カレーは少し冷めてしまっていたので、もう一度温め直す。
その間に冷蔵庫からトマトサラダを取り出し、手製の醤油ベースの和風ドレッシングを添えて新一の前に持って行った。
すると新一はそれを一瞥すると、ふんと鼻を鳴らした。
 
「ゴマがいい」
「えっ?だって新一いっつもこれじゃん!てかトマトだし和風でいいだろ?」
「今日はそんな気分じゃない。ゴマ!」
「ゴマドレッシングなんて甘ったるくて嫌いだって言うから、買い置きしてないよ〜。」
「イライラにはゴマがいいんだよ!」
 
言ってからしまった!という顔をし、新一は少しバツが悪そうに顔を背けた。
イラついている自分をはあまり認めたくはないようだった。
イライラしている…とすれば原因は一つ。
 
「やっぱ今日のが原因?」
「今日のってなんだよ」
「授業中、シュート止められてたじゃん」
「見てたのか!?」
 
新一が驚いてガタッと立ち上がった。

 
「そりゃ〜あんだけグラウンドから歓声上がってたら見ちゃうよ。ほとんどの生徒が見てたんじゃない?」
「……」
「新一のシュート止めちゃうなんて凄いよね、服部先輩。やっぱサッカー部入るんだろ?うちのサッカー部も益々安泰だよね」
 
オレは放課後の先輩とのやり取りは言わずにそう言った。
新一はキッとオレを睨み返した。その顔はほんとに悔しそうだった。
 
「あのヤローここじゃサッカー部入らねーって言ったんだ!剣道やりたいって!!あんだけの腕しててマジムカつくやろーだぜ」

 
新一と先輩のやり取りを立ち聞きしていたオレは、この言葉に少し驚いた。
きっと自分の認めた相手がサッカーはもうやらない、と言われてあんな事を言ってしまったんだろう。
 
なんだ、悔しそうな顔してるけどちゃんと認めてんじゃん
 
「じゃあ剣道部に入るんだ」
「サッカー部にはオレが入れさせねえ!」
 
キャプテンである新一がそう言い切ってしまえば、ほんとに先輩の入部は厳しそうだ。
オレが先輩をサッカー部に入るように説得したのに、これでは先輩に申し訳が立たない。
今度は新一を説得してみる事にした。
 
 
「じゃあ、新一負けたままだね」
 
ピクリと新一の眉が動いた。

 
「まあ、体育の授業なんてお遊びだから勝ったも負けたもないよね〜公式戦じゃないんだしさ」
 
新一の拳が震えているのを目の端で捉えたが、構わず続ける。もう一押しだ。

 
「新一も本気じゃなかったんだし」
 
新一は握り締めていた拳で思いっきり机を叩いた。
その鈍い音は新一の手にも相当のダメージを与えたのが分かったが、それを顔には全く出さずに叫んだ。
 
「あのヤロー上等じゃねーか!ぜってー剣道部から引っ張り出してやる!!そしてどっちが上かってこと今度こそ分からせてやろーじゃん!」
「その意気その意気。新一が上に決まってんだから」
 
結構扱いやすいよなー新一も。
と、新一に聞かれたら更に怒りを買いそうな事を心の中で呟いた。
やっぱり明日から楽しみだな〜。




 
 
今朝も痴漢には遭わなかった。
オレは朝からご機嫌だった。
 
学校に着いてからは、やはり先輩の噂で持ちきりだった。
昨日あれだけのスーパーテクを見せたのだから当然だろう。
サッカー部がスカウトしに行ったことも既に噂になっていて、おまけに剣道部を殴り込みしたとかとんでもない噂まで飛び交っていた。
毎日毎日噂の耐えない先輩だ。

だが、剣道部の事は半分はオレにも責任があるので少し心配になった。
先輩の様子を見に行きたかったのだが、新一に教室まで来るなと言われてしまっているのでそれも叶わない。
放課後まで待つにしてもじっとしていられなかった。

オレは移動教室を狙って待ち伏せる事にした。新一に会ったら偶然通りかかったと言えばいい。
二時間目が終わり、オレは急いで旧校舎に繋がる渡り廊下まで走って行った。
さっき化学室に入っていく2年B組の面々を見たので、ここで張ってたら捕まるはずである。
オレは階段の影に隠れながら先輩が渡って来るのを待った。


授業が終わったのだろう。同じクラスの先輩たちがゾロゾロとこちらに向かって歩いている。
先頭の集団に新一がいた。オレは見つからないように階段の影に隠れ、2、3の集団をやり過ごし、オレはそっと顔を出して渡り廊下を覗いてみた。

すると、今度こそ先輩が渡ってくるのが見えた。
先輩は女の子達と楽しそうに並んでこっちへ向っている。先輩の楽しそうな顔を見てるとオレの心臓がチクリと痛んだ。
何で胸が痛むのか今のオレには分からなかった。
ただ、その場から無性に逃げ出したくなった。
だがそういう訳にもいかないのでオレは階段の影から抜け出し、先輩の輪の中へ勇気を振り絞って近づいて行った。
そんなオレに一早く気付いたのは先輩だった。
 
「黒羽やんか。どないしたん?こんなところで」
「あ…ちょっと話が……」

 
オレが言い難そうに言いよどんでいると、察したのか先輩は女の子達に先に行く様にと促してくれた。
再びオレの方に向き直ると、先輩は困ったように頭を掻いた。

 
「もしかして、噂…気にしとるんか?」
「だって!オレがサッカーを無理に勧めたからあんな事に…」
「黒羽は気にせんかてええんやで?オレが黒羽に見てもらいたかっただけなんやし」
「でも…また掛け持ちしてくれとか言われたら…先輩一つに絞りたいんでしょ?あんなに噂になったら周りが…」
「大丈夫やって。ここは前んトコと違うてサッカー名門校やし、その部員に掛け持ちせぇなんて言うヤツおらへんで?」
「けど…」
「オレが心配無い、言うてんねんからそない気にしなや!」
 
先輩はそう言うとオレの頭をクシャクシャと掻き回した。

 
「い…痛い…ッ!」
「黒羽がいつまでも聞き分け無いからや!どや?もう心配せーへんか?」
「わ…分かりました!もう心配してませんから…!」
「そんならええわ」
 
先輩はピタリと掻き回すのを止め、スマンスマンと言いながらオレの髪を梳いてくれた。
その手はとても優しくて、いつまでも触れていて欲しいと思ってしまった。
 

「ほな、もう行かな次の授業始まんで。しっかり勉強せぇや」
「先輩もね」

 
先輩は軽くオレの背を叩いて早く行くようにと促した。
オレはもう少し一緒にいたいという思いを無理やり頭の隅に追い払い、教室へ向った。
先輩はしばらくオレの後姿を目で追っていたが、オレは全く気付いていなかった。
 
教室に着いた時には既にチャイムが鳴っており、オレは慌てて席に着いた。
幸い教師はまだ教室まで来てはいなかった。
隣で青子が「バ快斗」と言ってからかっていたが、オレの耳には入っていなかった。
先輩の触れた手の感触が頭から離れず、ずっと先輩の事を考えていたのだった。
 

6へ続く