「先生〜怪我してんねんけど。治療してや〜」


平次は保健室の主に向かって存外に言い放つ。

しかし、保健室の主は全く気にせず、目の前の生徒の治療に没頭していた。

 

「一応、応急処置はしたけど必ず病院で診てもらってね。ここからなら、沖田医院が近くていいから」

「ありがとうございます!先生」

まだ新入生なのか、少し大きめの制服姿が可愛らしい生徒が、元気に快斗に挨拶して保健室を出て行く。

そんな下級生を冷めた目でやり過ごし、平次は快斗に視線を戻す。

 

「早よ診てや。右腕やられてん」

「…腕出して」

それまで笑顔だった快斗は、新入生が居なくなると、途端に仏頂面になった。

その原因はもちろん目の前の生徒にある。

 

「…なんやソレ。もちっと可愛いらしく言えんのかい」

「悪かったね」


この目の前の生徒は、先日自分の言った言葉通り、保健室では迫って来なかった。

保健室では…。

 

この生徒はあろうことか、廊下やトイレで自分を待ち伏せ、迫って来るようになった。

人が居ようが居まいが関係なしに。

そんな訳で、とてつもなく不本意ではあるが、たったの3日で前言を撤回せざるを得なくなってしまった。

すると、今度は今まで以上に保健室に入り浸るようになってしまったのだ、この生徒は。

自分への気持ちを告白して以来、怪我をしていなくても大っぴらにやってくるようになってしまった平次は、

保健室に誰も居ないと…

 

「先生〜なぁ、今度デェトせえへん?ダチに映画のチケット2枚もらってん。なぁ、行こうや」


そう言って快斗にベタベタと触ってくる。

平次がいつ、何をしてきてもいいように、最近では保健室のカーテンは閉めっぱなしになっている。

別に期待をしている訳ではないが、一階だという事もあり、誰が見ているか判らないからだ。

困った事に、この生徒は誰に見られても気にしないタチらしい。

寧ろ、イチャついている姿を人に見せびらかしたい風がある。

そんな訳で、自分が防衛策を取らざるを得ない状況になってしまった。

自分が少しでも隙を見せるとすぐにでも迫ってくるので、快斗は知らず仏頂面になってしまうのだ。

 

「このくらいの怪我なら消毒して絆創膏貼っといたらすぐ治るよ。ほら、治療お終り!」


快斗はポンっと軽く平次の腕を叩いて退室を促す。

 

「冷たいの〜。酷ぅなったらどないすんのや。だいたいデェトの話はどないなっとんねん。

行くんか?行かへんのか?」

「い、き、ま、せ、ん!恋人でもないのにデートする義理はないだろ?

ほらほら行った行った」

 

平次は背中を押されて保健室から強制退室させられる。

無理やり退室させられた平次はくるり、と快斗の方に向き直し、声のトーンを落として快斗の耳に直接囁いた。

 

「…気が変わったらデートしよ。日曜…待ってんで」

ほなな。

 

そう言って、平次は保健室を後にする。

両手をポケットに突っ込んで歩く姿がどことなく寂しそうだったが、快斗は無理に気づかなかったフリをし、

部屋へと戻って行った。


 

それから3日。平次は全く保健室に顔を出さなかった。

快斗は少し言い過ぎたのだろうかと不安になったが、平次の事は無理やり頭から追い払い、

極力考えないように努めた。

 

そして、約束の日------

 

一方的に取り付けられたデートの約束に、快斗は行く気なんて更々なかったが、

やはりずっと姿を見ていない平次の事が気になってしまい、約束の場所へとやって来てしまった。


駅前の噴水前。

デートの定番の待ち合わせ場所だ。

時刻は950分。約束の時間より10分早い。

快斗は遠くの木の陰からそぉっと噴水前を覗いてみる。


いた!服部平次だ。

まだ5月なのに早々と真っ白な半袖シャツを着込んだ彼の姿は褐色の肌によく映えていて、

快斗は思わず顔を赤くした。

そんな自分が信じられず、快斗はぶんぶんと頭を振った。

 

再び顔を上げると、平次の前に二人の女の子が立っていた。

うちは男子校なので、当然他校生ということになる。

どうやらイケ面の男の子が一人で待ちぼうけを食らっているらしい様子なので、

女の子たちが話し掛けに来たらしい。

平次も可愛い女の子達に話し掛けられ、何やら嬉しそうだ。笑顔で受け答えしている。

 

(へらへらしてんじゃねーよ…)

 

思わず呟いていた言葉に快斗はびっくりした。

別に焼きもちを妬いた訳じゃない筈なのに…

 

何だか馬鹿らしくなって来た快斗は、その場を後にし、帰路についた。

 

月曜日-----

 

快斗は昨晩は何だかずっと寝付けず、寝不足だった。

フラフラになりながらも学校に行き、保健室の薬品棚を整理していた。

すると、ガラッと大きな音を立てて扉を開け、ズンズンと中へ入って来る者がいた。

眠たい頭でぼーっと見ていた快斗は、側に来るまでそれが誰か気付かなかった。

 

「へ…平次、くん…」


近づいて来た人物は平次だった。彼は少し怒った様な、悲しそうな複雑な表情を浮かべていた。

 

「何で昨日来ぃへんかったんや?」

「行く…なんて、言ってないでしょう?」

ほんとは行ったのに…、気になって様子を見に行ったのに…

声には出せなかった。何かが自分の中で燻っている。

それが何かまだ快斗には判らなかった。

 

「気ぃ変わったらデートしよ、言うたよな。気、変わらんかったんか?」


そう問いかけてくる平次の顔は、とても寂しそうだった。

 

「へ…平次…」


快斗は胸が締め付けられる想いだった。

 

「オレもな、あんまシツこうはしとうないねん。オレに付き纏われて…嫌やったんか?迷惑…やったんか?」

「…へい…」


快斗にはどう答えて良いのか判らなかった。

ただ、どうして良いのか判らず呆然と立ち尽くしていた。

 

「正直に言うたって、先生…」


尚も詰め寄ってくる平次に快斗は寝不足なのと、目の前に突きつけられた答えの解らない回答に頭が混乱し、眩暈がした。

快斗は足がふら付き、そのまま薬品棚に倒れこんでしまった。

薬品棚は整理の途中で、扉が開いたままだった。

上から薬品がガラガラと落ちてくる。

 

「か、快斗!!」

平次は慌てて快斗を庇った。平次の上に薬品がバラバラと落ちてくる。

また薬品が落ちてこないだろうかと、平次はしばらく快斗を抱いたままだった。

しばらくして薬品が落ちてこないのを確認し、やっと平次は快斗を抱く腕を緩めた。

 

「…ぎょうさん落ちて来よったな〜。結構薬割れてしもたな…。先生、大丈夫か?怪我してへん?」



平次は快斗の顔を覗き込んだ。

快斗は俯いたままピクリとも動かない。

 

「大丈夫か?どっか痛いんか!?」



返事を返してこない快斗に不安になった平次は、取りあえず快斗を横にしようと彼の身体を軽々と抱き上げ、

揺らさないようにゆっくりとベッドまで運んで行く。

 

運ばれる途中で目が覚めた快斗は、自分の置かれている状況に赤面した。



「な、何だよ!男相手にお姫様抱っこなんてしてんじゃねーよ!!」

真っ赤になりながら、快斗はそう叫んで降りようとする。

あまりの恥ずかしさに、相手が生徒だという事も忘れて、思わず素の自分を晒していた。

しかし、そんな快斗の様子にも平次は構っていられない。

 

「ちょお大人しぃしとき。どっか頭打ってるかもしれんやろ?」

「打ってない!どこも痛くない!!」


まるで子供の様に、快斗はジタバタと暴れて今にも落ちそうだ。

 

「ちょっ、ほんま落ちるで、自分!ええ加減にしとき!」


平次がピシャリと叱責し、快斗はしゅん、と大人しくなった。


どうして自分が年下の彼に怒られなきゃならないんだ。

理不尽だと思いつつ、この高さから落っこちては自分が痛い思いをするだけなので、快斗はやっと暴れるのをやめた。

 

「ほんま、ええ子にしといてや。あんま心配かけんといて」


そう言って平次は優しい瞳で快斗に微笑みかける。

 

(…オレのが年上なのに、なんで子供扱いなんだよ)

とは思うものの、何故か嫌ではない。

彼に心配されるのは、何だか心地良かった。

 

ゆっくりと運んだので時間が掛かったが、ようやく快斗はベッドの上に寝かされた。

快斗をベッドに運び、平次はパイプ椅子を持って来て隣に腰掛ける。

そして平次の大きな掌が快斗の頭にそっと置かれた。

 

「どこら辺打ったん?ここらか?」


平次は傷を気遣うように、優しく優しく撫ぜていく。


 

「…ちょっと側頭部を打っただけだよ。寝不足だったから、一瞬意識が…」


快斗は思い出して恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 

「寝不足て、ちゃんと寝んとあかんやん。仮にも保健医やろ?」

身体は大事にせな。

 

最もな事を言われて、快斗は益々恥ずかしくなってくる。

自分は一体何をやっているのだろう。快斗は毛布を頭から被ってしまった。

 

「先生?どないしたん?」


急に顔を隠してしまった快斗に訝しげな目を向け、もう一度聞く。

 

「どないしたん?先生?」

「……なよ」

 

毛布の中からか細い声が聞こえたが、よくは聞き取れなかった。

 

「先生?」

「優しくすんなよ!」

今度は身体を起こしてはっきりと告げた。

しかし、平次と目が合ってしまい、恥ずかしくなった快斗は再び毛布を引っかぶってしまった。

 

「どないしてん。優しくしたらあかんのか?」

「だ…だって、オレ…デートもすっぽかして…、平次に、冷たい態度しか…取ってないのに…

優しくなんて、する価値ないだろ」


毛布からそっと顔を出して、快斗は真っ赤になってそう告げる。

自分は平次に優しくしてもらう価値はない、自分で言っておいて快斗は急に悲しくなってきた。

平次の顔をまともに見る事が出来なかった。

 

「そんなんオレが決めることやん。オレが優しくしたいんやからええんとちゃうの?それじゃダメなん?」

「だ…だって!オレ、つまんない事で焼きもち妬いちゃうんだぜ。

昨日だって、平次が女の子と楽しそうに話してるの見て帰って来ちゃったし、それに…」


矢継ぎ早に飛び出す快斗の言葉に、平次が思わず制止の声を上げる。

 

「ちょお待ち!昨日って自分、待ち合わせ場所まで来とったんかいな?」

「…行ったよ。だってお前、あれから全然保健室来ねーし、今まで一日だって保健室に来なかった日なんてなかったのに、

急にそんな事されたら気になるだろ!」


快斗は思わず涙を滲ませて叫んでいた。


 

「何で来なかったんだよ!お前から、デートなんて言い出しておいて、何でオレから逃げるようなマネしてんだよ!!

全然…来なくて、不安に…なって……、そしたらお前、女の子と嬉しそうに喋ってるし、

もうオレの事なんて、どうでも良くなったのかと思うじゃねーか!!」


快斗の目から大粒の涙が零れていた。

平次はどうしていいのか判らず、ただただ、快斗をじっと見つめていた。

 

「先生…」


そう呼んだ平次の顔を快斗がギッと睨み付ける。

 

「先生、なんて呼ぶな!」

「なっ!? 他にどない呼べ…ちゅーねん!」

「快斗って呼べばいいだろ!!」


快斗から紡がれた言葉に平次は呆然とする。

一瞬何を言われたのか理解出来なかった。が、すぐに我に変える。

 

「え、ええんかいな?怒らへんのん?」

「…怒るかよ」


快斗が今度は耳まで赤くしてそっぽを向いた。

そんな快斗の様子に気を良くしたのか、平次がそっと顔を近づけた。

 

「快斗…」


自分で言っといて、実際名前を呼ばれたら恥ずかしくて、平次の顔が見れないでいた。

そんな快斗に平次は両手で顔を覆い、こちらを向かせた。

まともに視線がぶつかった。

 

「ちゃんとオレの顔見て。オレが保健室に来んようになって不安になったんか?

オレが他の女と話してるの見て、焼きもち妬いたんか?どや?」



改めて平次に聞かれると、自分が子供っぽい事で怒っているのが判ってしまって馬鹿みたいだ、と思う。

だけど…本当の事だから、頷く。

 

「オレの事、もう嫌になっただろ?こんな、子供っぽい事で…オレ…」


次の瞬間、快斗は広い平次の胸に抱かれていた。

快斗は何が起こったのか判らなかった。

顔をそっと上げると、そこには今まで見た事もない程の、極上の笑みがあった。

快斗はそんな平次を見てしまって,,思わず顔を赤らめた。

 

「へ、平次…?」

「それ、オレへの告白と思うてええんか?本気にするで?」


少し照れくさそうに笑う平次。

そんな彼を見ていると、意地を張っていた自分が馬鹿らしく思えてきた。

 

「…うん、ごめん。ほんとはとっくに自分の気持ちに気付いてたんだ。だけど、認めたくなくて…

だってお前、高校生だろ?教師と生徒、なんてヤバイ関係な上に、こっちが本気になって、飽きられたら…立ち直れねーだろ。

平次は若いし…これからいくらだって…」



平次の指が快斗の額をパチン、と小突いた。

 

「アホぅ!んな事気にしとったんかいな。オレが心変わりなんてする訳ないやろ!

快斗ほど好きんなったヤツ、今までおれへんのや、保障したる!!

教師と生徒なんて燃えるシチュエーション、とことん利用したったらええねや」


と、最後はニヤリ、と快斗を見て笑った。

快斗は本当に自分が悩んでいたのが馬鹿らしく思えてきた。

快斗もつられて笑顔になった。

 

しかし、ふと思い出した疑問を快斗は口にする。

 

「ところで何で保健室来なくなったんだ?」


平次は触れられたくない事を急に思い出されて、バツが悪そうにしたが、やがてもごもごと理由を口にした。

 

「快斗が沖田の名前出すから…」


意味の判らない事を言われて快斗はきょとんとした。

沖田といえば、学園の近くの沖田医院の事だろうか。

それが今回の事とどんな関係があるのかと平次の顔を覗き込む。

 

「沖田医院に一人息子がおるやろ。泉心高校の。

あいつ、剣道強ぅてな、五段突きやられてドクターストップかかって一度だけ負けた事あんねん。

そんで、最近ちょっと気になる噂を耳にしてな。その…」



平次が言いにくそうに、縋る様に快斗を見た。

しかし快斗は彼がまだ何を言いたいのか分からず、先を促した。

 

「自分、そこの病院に仕事で結構行きよるやろ?なんや…沖田が自分に興味持ったらしい、ちゅうの聞いてしもてん。

他のどんなヤツにも快斗を取られん自信はあるんやけど、相手が沖田やったら、オレちょっと自信ないねん。

一度だけ言うても剣道負けてしもたし、あいつの顔、ちょっと快斗に似てるしな…。

ほんで、色々考えとったら保健室行き辛くなってん」



快斗は静かに平次の弁解を聞いていた。が、段々腹が立って来た。

沖田医院には確かに週に一度は仕事で行っていた。しかし、息子となんて会った事がなかった。

つまらない事を危惧しすぎの平次に、今度は快斗が額を小突く。

 

「平次より剣道勝ってようが、オレと顔が似てようが関係ないだろ?くっだらねー事でうじうじしてんじゃねーよ!」


今度は平次の鼻を思いっきり摘んでやった。

 

「じ、自分に言われとうないわ!自分だって何やごちゃごちゃ考えとったくせに!!」

「し、知るか!お前のせーだろうが!!」



二人はしばらく言い合っていたが、お互い不毛な喧嘩をしている事に気付いて顔を見合わせた。

 

「自分、さっきからずっとタメ口で喋っとん気付いとる?」


平次がふいに勝ち誇ったように快斗に囁きかける。

そういえば、いつの間にやら仕事口調ではなく、普段通りの飾りない言葉遣いで話していた。

平次に指摘されるまで全然気付かなかった。

 

「仕事口調ん時は本音喋っとるんかそうでないんかよう判らんかったけど、今は全部、偽りなしの言葉やろ?

やっと本音で話してくれるようになってんな。なんや嬉しいわ」



そう言って平次は、思わず包み込まれそうな程の温かい笑みを快斗に向けてきた。

どうしてこいつは年下のくせに、こんな顔が出来るのだろう。

少し悔しくなった快斗だった。

 

「お前、ムカつく」



半分冗談、半分本気の言葉をムスっとして呟く。

 

「な、なんや急に。何でオレがムカつかれなあかんのや?」



少し焦って平次は快斗に向き直る。

「年下のくせに達観してるっぽいのがムカつくんだよ!」

「どこがや!快斗の事になったら達観なんかしとられへんわ。一杯一杯やで」

「ほんとか?だったら証拠見せてみろよ」



ムチャクチャな事を言ってのける快斗だったが、平次は少し真顔になって快斗を見つめた。

 

「好きやで、快斗」



そう言って平次は快斗の頬に口付けした。

快斗は少し驚いて、平次の顔を見つめ直した。

 

「…これ以上は無理や。快斗が可愛い過ぎて抑えきかんくなる」

「へ、平次…」

快斗は平次の唇が触れた部分が急速に熱を帯びていくのを感じていた。

快斗が口を開く前に、平次が先に言葉を発した。

 

「なっ!一杯一杯やろ?」

と、嬉しげに快斗に目配せする。

「どこがだよ!!目一杯余裕ありまくりじゃねーか!!」

「そおか?」



快斗はこの先の事を考えると不安になってくるのであった…。

 

 

END

 




ハッピーエンドなのか?これは
快斗にお姫様抱っこさせてみたかったんです…