噂の転校生   1



朝の満員バスがオレは苦手だった。

この路線には痴漢が出る。

もちろん男のオレには関係のない話なんだけど、それがそうも行かない。

オレは色白で細身で、そしてこの童顔な顔立ちからよく女に間違えられる。

普段着だったら9割の確率で間違えられる。

学生服を着てたらさすがに女には見られないんだけど、満員バスともなれば話は別だ。

詰襟だと完全に男だと解るが、今はまだ9月。開襟シャツしか見えない状態だと女だと思って寄って来るバカがいる。

それだけなら触った瞬間、男だと分かるからすぐに手を引っ込めるんだけど、中には男だと分かってても触ってくる奴がいる。

そういう奴が一番手に負えない。

オレは男だから、痴漢に遭ってるなんてとても言えないし、逃げることも出来ない。

だから痴漢にとっては触り放題で有難いのかもしれない。

ほんと、迷惑な話だ。

いつもなら新一が睨みを効かせてくれるから被害は減るんだけど、今日は当直で早く出て来てしまったから、
新一がいない。

家を出る時心配そうにしていたが、朝が苦手な新一はベッドから起き出す事が出来なくて、一人で早めのバスに乗ったのだった。

オレは時間が早いから大丈夫だと新一に言ったが、それは大きな間違いだった。

 

(いつもの痴漢ヤロー、何で今日に限っていつもと時間違うんだよ!!)

 

痴漢にしてみれば、いつもと違う通勤時間だったのに、いつもの可愛いコちゃんが乗って来てラッキーってとこか。

 

(こっちは有り難迷惑だってのに…っ!!)

 

そんなこんなでいつものごとく、オレは痴漢行為に悩まされていた。

 

(早くバス…着かねーかな…)

 

オレは何で自分ばっかりがこんな目に遭うのだろうと、自分を呪って泣きそうだった。

 

もう少し…男らしくなれたら…

 

オレが意気消沈している時だった。

今までオレの尻を撫で回していた手がいきなり遠のいた。

オレはそれまで怖くて振り向けなかったけど、気になって後ろを振り返った。

 

「痴漢は社会のクズやで、オッサン!」

 

長身で褐色の肌をした青年が痴漢の腕を取り、睨んで仁王立ちしていた。

容赦ない凄みで、すっかり痴漢は縮こまっていた。

その青年は、どうやら自分と同じ学校らしい。

胸のポケットに付けられた紋章が自分のものと同じであった。

風格から一つか二つは年上に見えた。

その青年は、痴漢に何事かを囁き、それを聞いた痴漢は真っ青になって無理やりバスを停車させ、
もの凄い勢いで飛び降りていった。

 

「あ…あの…」

「…話は後でな」

 

関西弁を喋るその青年は、少し真剣な顔をしていた。

オレの顔は見ずに、じっと窓の外を眺めていた。

オレもそれ以上は何も言えず、大人しくバスに揺られることにした。

痴漢騒ぎで静まり返っていた車内だったが、しばらくするといつもの喧騒が戻っていた。

オレの心臓も何だか早鐘を打っていて、とても騒がしかった。

顔も少し火照っているみたいで顔が上げれず、ずっと俯いていた。

 

それから10分ほどして学校の近くの停留所に着き、オレ達はバスから降りて歩き出した。

 

「あの…さっきはありがとうございました…」

 

オレはやっと感謝の気持ちを口にした。

その学生は、オレを全身見遣ってそれから口を開いた。

 

「いっつもあんな目ぇに遭うてんの?」

「あ…はい…恥ずかしながら…」

 

言っててほんとに恥ずかしくなってきた。

改めて考えてもこれって普通じゃないよな。

何が悲しくて男が痴漢に悩まされなきゃなんねーんだ。

オレはまともに顔が上げれず、俯いてしまった。

 

「そんな顔せんでもええよ。恥ずかしいのはアイツや。おんなじ男として恥ずかしいわ。でもな、安心し」

「え?」

「オレがな、言うたったんや。
男に痴漢しとったてあんたの会社の社長さんに言われとうなかったら、二度とこんなマネするんやないで!ってな」

 

その青年はピラピラとその痴漢のものらしい名刺を振って見せた。

オレは思わず目を見張った。

 

「そ…それ…!」

「ちょっとな、ポケットから拝借したんや。もうこのバスには乗ってこんやろ」

 

そうやってにかっと笑う青年の姿に、オレの心臓は飛び出しそうだった。

なんて笑顔で笑うんだこの人は…
オレは青年の笑顔に一瞬にして心を奪われてしまっていた。

 

「オレな、今日からここの学生やねん。よろしゅうな!」

「あ、はい…!」

「今日は早めに来て正解やったわ。こんな別嬪さんに会えたんやからな。ほなな〜」

「はい!」

 

オレはろくに返事も出来ずにいたが、青年は気にした素振りも見せず、校門を潜ると走って校舎の中へと消えて行った。

 

「名前…聞いてなかった…」

 

オレはぽつりとそんな事を呟いていた。

 



 

二年生に時期外れの転校生が来たことは、その日の午前中には全校生に広まっていた。

何組に入ったとか名前とかまではオレの耳には入ってこなかったが、関西出身でかなりのイケ面だと女子たちが
大騒ぎしていた。

 

お昼の休憩も半分が過ぎた頃。

青子が嬉しそうにオレに近づいてきた。

 

「か〜い〜と」

「…なんだよ気持ち悪ぃな」

「青子ねぇ、いいこと聞いちゃった♪」

「…用件があるなら早く言えよ。オレも暇じゃねーんだよ」

「あのね、新一先輩のとこ行こ!」

「はあ?何しに」

「噂の転校生を見るために決まってんでしょ?B組に入ったんだって!ねえ、何か先輩に用事ないの?」

「ねえよ!見たきゃお前一人で行けよ。そんくらいの度胸あんだろ?」

「や〜よ〜(女の)先輩たちに睨まれちゃう。青子か弱い女のコだもん。耐えられないよ〜」

「それがか弱い女の子の発言デスカネ」

「いいから行くわよ!!」

 

青子はオレの腕を引っ張って無理やり教室から連れ出そうとする。

 

「やだって!用もないのに教室なんか行ったら新一に怒られるよ!」

「用事なくったっていいでしょ別に?可愛いイトコがわざわざ会いに行って怒る訳ないじゃない」

「…毎日家で会ってるんですけど…」

「もー煩いなあ。いいから行くわよ!」

 

オレは今朝会った先輩に会えると思うと少しどきどきした。

朝はろくに返事も出来ずに別れてしまったから、今度会えたらちゃんと自己紹介しようと思っていたのだ。

階段を上がるにつれて、オレの心臓もドクドクと高鳴っていった。

B組の教室の前まで辿り着いた。

さっきまで意気込んでいたくせに、いざとなるとビビる青子に背中を押される。

まだ夏も盛りで、教室の窓もドアも全開に開かれていた。

オレの背中越しでそこからチラチラと中を窺う青子。

 

「ねね、転校生いる?」

「…ん〜」

 

ざっと教室を見回したが、今朝会った青年はいなかった。

あれだけ目立つ容姿だ。いればすぐに気付くはずである。

 

「いないみたいだな。残念でした」

 

青子に言った言葉だが、内心とてもガッカリしている自分がいた。

すると、いきなり後ろから声を掛けられビクッとしてしまった。

 

「何してんだよ、二人揃ってこんなところで」

「し…新一…!」

 

ドアにもたれかかり、超が付くほど機嫌の悪そうな顔をした新一がそこにいた。

オレは返す言葉がすぐには出てこなかった。

何でこんなに機嫌悪いんだ?

 

「何か用事?」

「や…あの…」

「アイツ見に来たのか?」

「あ…アイツって…転校生?」

「わざわざ物好きなこって」

「あ…あのさ…新一…」

「用事ないならさっさと自分たちの教室に帰りな。前から行ってるけど用も無いのにうちのクラス来るんじゃねー。

用事あっても来んな。分かったらさっさと行け!」

「わ…分かったよ…ごめんな、新一…」

 

オレは何故こんなに新一の機嫌が悪いのか分からなかったが、これ以上逆鱗に触れたくは無いので

大人しく青子と一緒にその場を後にした。

階段を降りきってようやく青子が口を開いた。

 

「怖かった〜。先輩ったら超機嫌悪かったわね。どうしちゃったんだろ?」

「オレも怖かったよ〜。小テストが悪かったとか?」

「新一先輩がそんなことで機嫌悪くなるわけないでしょ〜?いっつも満点じゃない。何かあったのかしらね。

だっていっつも快斗が教室に行ったら口では文句言ってても歓迎してくれるでしょ?今日はほんとに迷惑って顔してたものね」

「うん…」

 

オレもそこが疑問だった。

用事も無いのに教室まで行ったら新一は嫌がる。

だが、口ではうざいとか言うくせに、本気で嫌がったり迷惑がったりはしないのは態度で分かる。

だから今まで何度も用が無くても教室まで遊びに行ったりはしていたのだが、今日は違っていた。

本気で怒っていた。

何に怒っていたのかは分からないが、快斗が教室に来るのを本気で拒んでいた。

 

(オレ、何か新一怒らせるようなことしたかな―・・・)

 

オレの考えもあながち的外れではなかったが、その理由を知るのは当分先の事である。

 




 

 

時間は遡ってここ、2年B組では……


 

「中途半端な時期だが親御さんの仕事の都合で今日から我が校の生徒になった、服部平次君だ。」

「服部平次です。よろしゅう頼みます〜」

「それじゃ服部君。窓側の一番後ろの席に座って」

「ほ〜い」

 

平次はスタスタと言われた席へと向い、鞄を置いて椅子へ座ろうとし、思わず隣に目を向けて驚いた。

 

「あ、あんた今朝の…」

「へ?」

「今朝バスん中で会うたよな?オレやオレ!」

「…生憎とオメーみてーな騒々しいヤツと知り合いになった記憶はねーな」

「…なんや冷たいのー。あのオッサンから助けてやったのに。ん?ちょー待てよ。今朝のヤツとちょっと違うような…?

せやせや!アイツの方がもうちっと可愛い気あった!」

「だから、オレはオメーなんか知らねーっつってんだろ!」

「アレ…誰やったんや?お前とソックリやってんぞ。知り合いか?」

「オメーに答える義理はねえ」

「ほんま、冷たいヤツやのーお前」

「いきなり人違いしといて冷てーもクソもねえだろ」

「せやけど、転校生なんやからもちっと大目に見たってや」

「知るか」

「…はあ。もうええわ」

 

そんな会話が繰り広げられていた。

 

(くっそーなんだよ朝バスで助けたって!快斗また痴漢に遭ったのか?だから大丈夫かって聞いたのに!!

起きれなかったオレも悪いんだけど。それにしたって見ず知らずの色黒関西弁ヤローに助けられてんじゃねーぞ、ったく!

しかもコイツえらく快斗に興味津々だし。ムカつくヤローだな。快斗はオレのもんなのに!誰が快斗のこと教えてやるかよ!

橋渡しだってぜってーしてやんねーからな!!)

 

一方的に敵視し、一人固く決心する新一だった。

一方平次は…。



 

(あの別嬪さんの兄弟なんかな〜?もしそうやったらお近づきになりたいんやけど…なんや機嫌悪してしもたみたいやし…

仲取り持ってくれ言うても絶対してくれそーにもないなあ…)


 

幸先不安だと一人溜息をつく平次であった。