その日のオレは、かなりブルーだった。

 
8年飼ってた愛犬が、急死した。
オヤジが死んで、寂しさを紛らわすためにオフクロが与えてくれたのだ。
だから、シロには並々ならぬ愛情を注いだ。
オヤジに訊きたかった事、悩みやその日の出来事なんかもシロに話した。
それが天国のオヤジに届けばいいな、とか思って一杯話しかけた。
いつしかほんとのオヤジみたいな存在になっていたのに。
そんなシロが死んでしまって、オレは心にぽっかり穴が開いたみたいだった。
 
傷心のオレは学校に遅刻し、英語の授業で小テストを受けられず授業の間廊下に立たされた。
休み時間に英文50回書きをやらされて、今度は体育の授業に遅れてしまい、グラウンド20週走らされた。
昼は昼で母さんが間違えて自分の弁当をオレに持たせてしまって、それに気付かず魚のフライを食べて腹を下してしまって
(オレは魚を食べると身体が拒否反応を起こす)午後からはずっとトイレに籠もりっぱなしだった。
 

トドメが
 
「ごめん、快斗。私他に好きな人出来たの」
 
付き合ってた、彼女に振られた。
 
可愛い人が好きだからって告白してきたくせに、可愛いだけじゃ物足りないってなんだよそれ!!
確かにキスもしてなかったけど!
手だって繋いだ事なかったけど…!!
やっぱそれが原因なのかな?
でもまだたったの二週間だぜ?
男として情けなさすぎる。
って今はそんな事、考える余裕も無い。
今日は色んな事が有り過ぎて、頭が付いていかない。
このままじゃオレ…おかしくなっちまいそうだ。
オレは傘も差さずに、トボトボとどこともなく彷徨っていた。
雨はどんどん強くなる。
オレは構わず歩き続けた。
 
 
オヤジ…こんな時どうすればいいんだ?
 
オレは雨に打たれながら、オヤジと過ごした幼い日々を思い出していた。
ふと、ある光景が頭を過ぎった。
 
あれはそう。
オヤジの仕事が急に休みになって、遊んでもらってた時だった。
いつも多忙な父がその日は一日自分の相手をしてくれて、とても嬉しかったのを覚えている。
そして、ふと諭す様にオレに話しかけた。
 
『快斗。悲しくて落ち込んでしまった時はどうすればいいか、知ってるかい?』
『ううん。どうすればいいの?』
『お天道様から元気を分けてもらうんだよ』
『おてんと様から…?』
 
意味が分からずきょとんとしていたオレに、オヤジが自分の両手を空に向かってかざしてみせた。
 
『こうやって両手をお天道様に向かって高く掲げるんだ』
 
オレは不思議そうにオヤジを見つめていた。
 
『分かったかい?』
『うん!』
 
オレは元気よく返事をしていたが、そのことはすっかり忘れてしまっていた。
いや、そうじゃない。
オレは覚えていた。
オヤジが死んだ時、一度だけ試した事がある。
とても浮上出来なくて、オヤジに教わった元気の出るまじないを実行に移した。
太陽に向かって祈りながら思いっきり両手を掲げてみた。
だが、何も起こらなかった。
 
だからそれきり、スッカリ忘れていた。
そして、今また思い出した。
効果のなかったまじないだけど、オヤジの教えてくれたものだ。
気休めにはなるかもしれない。
太陽は出てないけど、いいよな?
元気になりたいんだ…
 
オレは雨雲に向かって両手を広げた。
雨が顔に激しく打ちかかったが、気にならなかった。
そして祈った。
 
少しでいいから、元気を 分 け て――――………
 
 
ピシャアァァァァン
 

耳を劈く雷鳴が辺りに轟いた。
それと同時に全身を電流が駆け巡った…気がした。
気のせいか全身がビリビリする――――……
 
「おいっ!!!」
「えっ?」
 
突然の声と同時にオレは見知らぬ誰かに思いっきり抱きつかれていた。
しかも男!
冗談じゃない!何でオレが男に抱きつかれなきゃなんねーんだ!!!??
 
「何すんだテメー!!!は…離せよ…!!!」
 
オレは勢い余ってそいつの顔を思い切り殴ってしまった。
殴るつもりはなかったのでオレは慌ててしまった。
 
「ご…ごめん!痛かった…?」
 
謝って顔を上げたら、そいつの顔が間近で見えた。
それが結構いい男で、オレはドキリとしてしまった。
褐色の肌で少しつり上がった切れ長の瞳。
じっと見つめられて、思わず顔を逸らせてしまった。
 
「ええよ、別に。急に抱きついたオレも悪いしな」
 
急にさっきの抱擁を思い出して真っ赤になった。
そうだ。何でコイツ抱きついたりしたんだ?
 
「それより、もう平気なんか?」
「え?」
 
更に観察するように関西弁の男はオレをじぃーっと眺めた。
そして、一通り観察し終わると、何故か安心した表情を見せた。
 
「もう平気そうやな」
「だから何がだよ!?」
「自分やっぱ可愛ええな〜」
「はぁ?」
 
話が全く噛み合わない。
脈絡のない返事を返されて思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
何ふざけた事抜かしてんだコイツは。
 
「男に言われたって全然嬉しくねーよ!」
「そうかぁ?」
「そうだよ!」
 
力一杯答えたが、効果はなかったようだ。
この男は更にとんでもない事を言ってのけた。
 
「せやけど、自分に抱きつくんはやめへんで?」
「バッカじゃねーの?何で男同士で…」
「断言したるわ。次は自分の方からオレに抱きついて来るで」
 
オレは開いた口が塞がらなかった。
何を根拠にこんな突拍子もない事が言えるのだろうか。
オレは抗議の一つでもしてやりたかったが、頭が真っ白になってしまって上手く言葉が出なくて、ただ唸るだけしか出来なかった。
タチの悪い事に、この男は更にオレの神経を逆なでするような事を言ってのけた。
 
「まぁそないムキにならんでもええやん」
 
誰のせいだよ、誰の!!
 
「オレこれからちょお用事あんねん。せやから送って行かれへんけど…」
「一人で帰れるよ!!」
「そうか?心配やけど…まぁ、気ぃつけて帰りや」
「うっさい!さっさとあっち行けーっ!!」
 
こいつってオレの事バカにしてるだけなんじゃないのか?
ふと、そんな事を思ってしまった。
無礼な男は「ほなな」と言うと、さっさとどこかへ消えてしまった。
 
やれやれ、とオレは鞄を拾い上げようと腰を屈めた。
すると、不思議な光景が目に入った。
自分の居る周辺のアスファルトが真っ黒に焼け焦げているではないか。
その焼け跡は、まるで自分を囲っているかの様なつき方だった。
 
先ほどの出来事を思い返す。
耳を劈く雷鳴が近くで鳴り響いた。
と同時に全身を駆け巡った電流。
まさかオレの上に…
 
そこまで考えてオレは思考を停止させた。
そんなバカげた話、あるわけない。
オレは鞄を片手で担ぐと、いつの間にか晴れ上がった空を眺めた。
さっきまでの沈んだ気持ちは雨雲と一緒に吹き飛んだ様だった。
 
だが、アイツの事を考えると何だかもやもやしてて、いつもより早めにベッドに潜った。
忘れようと心がけたが、気が付くとあの男の事ばかり考えている。
男にいきなり抱きつかれたんだから、忘れようと思ってもすぐに忘れるのは無理なのかもしれない。
それに、イヤじゃなかった。
いきなり抱きつかれて驚きはしたけど、イヤじゃなかったんだ。
あの時はあまりの事に、頭が真っ白になって何も考えられなかったけど、今思い出すととても温かくて…
そう、それまで身体中がビリビリと電流を帯びていたような感じだったのが、アイツに抱きしめられたらそれがどんどん和らいでいった気がする。
それは不思議な感覚だった。
 
『自分に抱きつくんはやめへんで?』
 
急にあの男の言葉が脳裏に浮かんでオレは慌てて布団を引っかぶった。
 
「お…オレ何赤くなってんだ?男に言われた言葉だぞ!?頭おかしくなっちゃったんじゃねーよな…」
 
オレは無理やり別の事を考えるようにして、眠りに落ちた。
その晩、オレは久々に夢を見た―――――
 
 
『快斗』
『………』
『快斗!』
 
オレは目を開けた。
そこは真っ暗で、目の前に白くボゥッと光る物体があった。
目を凝らしてみると、それは死んだはずのオヤジだった。
 
『オ…オヤジ!?どうしてここに!?』
『これは夢だ。どうしても伝えたい事があって、神様に頼んでこうして話を出来るようにしてもらったんだ』
『ほ…本当に!?オレ、ずっとオヤジと話したくって…何から話していいか』
『お前の話したいことは分かっている。私はずっと空の上から見守っていたからね。それより時間があまりない。私の言う事をよく聞いてくれるかい?』
 
それまで微笑んでいたオヤジが急に真面目な顔になって、オレも黙って頷いた。
 
『私は太陽の化身なんだ。ある事情で天寿を全うするのが少し早まってしまったが、その血をお前も受け継いでいるものだと信じて疑っていなかった。
だが母さんが龍神の化身だったため、血が混ざって違う化身になってしまったようだ。これは誤算だった。だから本来既に目覚めているはずが、こんなに時間が掛かってしまった』
『え…?』
 
いきなり突拍子もない話になって、頭がついて行かない。
混乱した頭で必死に考えを巡らすが、思考は停止したままだ。
 
『今はすぐに理解しなくてもいい。ただ、これだけは覚えておきなさい。さるお方に先見をしていただいた。そこでお前が雷神の化身だというのがやっと分かった。
だから、快斗が目覚める前に……の息子の夢枕に立って頼んでおいた。だから、その人の言う事はよく聞くんだよ?』
『え…?』
 
肝心な部分がよく聞き取れなかった。
誰の息子だって?
 
『今日会ったはずだ。彼のお陰で暴走せずに済んだろう?彼に任せておけば大丈夫だから…』
『彼…って…』
『もう時間がない。私は行くよ、快斗。彼を信じるんだ…』
『オ…オヤジ…!!』
 

思いっきり叫んだ所で目が覚めた。
気が付けばもう朝だった。
朝の光がカーテンの隙間から差している。
 
「彼…って、アイツの事か?」
 
オヤジが言っていたのはそいつとしか思えなかった。
だけどオレ…アイツのこと何にも知らないんだぜ?
オレは少し早いがベッドから抜け出した。
 

 
「よぉ!おはようさん」
 
教室へ入ろうとしたら、後から声を掛けられた。
このイントネーションは…
振り向くとそこには思った通り、昨日のあの男が立っていた。
えらく機嫌が良さそうなのが気に入らなかったが。
 
「同じ学校だったんだ?」
「なんや、オレの事知らんかったんか?寂しいの〜オレは黒羽の事知っとったのに」
「え?」
「校内一の可愛い子ちゃんやもんな、自分」
「は?何だよ!それ!!」
「可愛いもんは可愛いんや」
「男相手に言うセリフじゃねぇって、昨日も言ってんだろ!!それにオレより可愛いヤツなんていくらでも…」
「い〜や。自分が一番可愛いで!」
 
そんな事をキッパリと断言されても嬉しくない。
オレは男だ!
そんな事はその辺の女にでも言ってろってんだ。
 
「ところで、あれから変な事起きてへんか?」
 
それまでからかい口調だったのが、急にオレを心配するように訊ねるから調子が狂ってしまった。
オレは昨日の抱擁が脳裏に浮かんで慌てて打ち消した。
 
「その様子じゃ何もなかったみたいやけど…ええか?」
「え…?」
「黒羽は昨日目覚めたばかりやから、コントロールの制御が出来へんのや。せやから、何かあったら必ずオレんとこ来るんやで?」
 
真面目な顔で言われて、胸が熱くなった。
お…男相手にオレ…
 
「一人で悩まんと、オレに相談するんやで?何でも解決したるから。オレは隣のクラスの服部平次や。ほなな」
 
にこやかに笑うと、服部平次は自分の教室へ消えていった。
 
何だよ偉そうに!!
オレは隣の教室に向かってアッカンべーをしてみせた。
 
でもおかしい。
さっきから身体に電流が走ってる気がする。
それも、段々強くなってるような…
 
「よう快斗!」
「新一!」
 
振り返るとそこに新一の姿があった。白馬も一緒だ。
 
「あれ〜、一緒だったの?」
「ええ。バスで一緒になったんですよ」
「ウザイから離れろって言ってんのに、コイツ聞かねーからさ」
「人聞きの悪い。僕が一緒だと都合が悪いんですか?」
「そうじゃねーけど…」
「まぁまぁ朝っぱらから喧嘩してねーで、早く教室入ろうぜ!」
 
オレは二人の背中を押して教室へと押し込もうとした。
二人の背中を触った瞬間、ビリッと電流が走った。
 
静電気…?
真夏なのに…
 
オレは慌てて両手を引っ込めた。
二人は少し訝しげにオレを見つめていた。
何やらオレを見て二人が相槌したようだったが、オレは全く気付かなかった。
 
 
「今から抜き打ちテストをやります。」
「ええ〜!!」
「文句言わないの!あなた達のクラスが一番古文の平均点が悪いんだから。次の期末考査は絶対最下位脱出してもらいます!」
「先生の教え方の問題じゃね〜?」
 
ギロリと一睨みされて、生徒は静かになった。
この女教師は怒らせると、正直怖い。
 
「静かになったわね。分かったのならいいわ。さあ問題配るわよ!」
「げ〜!オレ漢文と古文は死ぬほど嫌いなのに!!」
 
オレは先生に気付かれないように静かに唸った。
両隣にいる新一と白馬を交互に見遣った。
 
「新一と白馬は?」
「オレも古文はな〜。理系ならちょろいのに」
「僕も…英語なら得意中の得意なんですけどね」
 
二人ともオレと同じく渋面だった。
と、ここで女教師から爆弾発言が放たれた。
 
「言い忘れてたけど、このテストで80点以上取れなかったら一週間残ってみっちり補習してもらいますから!」
「げ〜〜〜っ!!」
 
クラスの全員がブーイングを上げた。
オレももちろん例外ではない。
一週間も補習で放課後を潰されるなんて冗談じゃない。
 
ブーイングが上がった瞬間、蛍光灯がバチバチと尋常じゃない音を放った。
教室全部の蛍光灯がショートして、辺りは薄暗くなった。
教室内がどよどよとざわめいた。
 
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